テルマエ・ロマエ(2012年フジテレビ)

映画で多く評判を取ったり語り伝えられたりする作品は、たいてい監督が前面に出たタイプの作品です。中でも、凝りに凝った演出を駆使し、ケレンともいえるほどの斬新さを打ち出し、なおかつ全体として整合性が見事に取れて観た後に感動なり納得が残る作品が名作と呼ばれるのでしょう。
一方で、斬新さもたっぷり、ケレンもたっぷり、ある種のテーマ性も打ち出してはいるのに、主に後半バランスを失ってガタガタになってしまっている映画の群れも存在します。名作ならぬ怪作と呼ぶべきでしょうか。これは、当然、観た後に「納得のいかなさ」が残るのですが、ある種の感動もあることは確かで、一概に名作より劣った存在と決め付けるわけにはいかないと最近考えています。実名を挙げると、石井輝男監督とか鈴木則文監督の作に多く観られます。
その正反対ともいうべきものが、監督が前面に出ない職人仕事です。これはこれで娯楽映画においては貴重な仕事ではあるのですが、脚本がよほどキッチリと締まっていないと、ただただ凡庸に感じられてしまいます。要するに緩みが大敵なのです。
最近ではテレビ局製作の映画にこのタイプが多く、「テルマエ・ロマエ」などには特にそれを感じました。ある程度手堅いし、物量感もあるのですが、後半、どうしても隙間風を感じて凡庸な印象を受けるのです。これならいっそ暴走してくれたほうが面白かった気もするのですが、やはり暴走するにもセンスが必要で、奇怪な情念みたいなものを抱いていない人には難しいのかも知れません。TVドラマとしてはこれで充分な仕上がりだとは思うのですが。

西田敏行主演作の素敵な金縛り

2011年10月29日に公開された三谷幸喜監督による、
落武者幽霊と三流弁護士による法廷サスペンスコメディ・エンタテインメント・ムービー。
主演は西田敏行と深津絵里。
『ザ・マジックアワー』以来の三谷幸喜脚本ということでかなり期待して見ました。
法廷コメディーという売り出し文句に負けず、やはり期待を裏切らない完成度でした。
内容は妻殺しの容疑で逮捕された容疑者の弁護を担当することになった深津絵里演じる宝生エミ、
「旅館で金縛りにあった」というアリバイを実証するため、
容疑者が事件当日宿泊していた旅館へ足を運ぶことに、
そこで出会ったのは、容疑者に穴縛りをかけたという西田敏行演じる落ち武者の更科六兵衛。
容疑者の無罪を証言してもらうために、更科六兵衛を法定に連れて行く
移植の法定コメディー。
さすが三谷幸喜さんの脚本ということだけあって、
奇想天外な発想と緻密な脚本構成。
落ち武者が実際に法定に立ったからといって、裁判官を含め法廷内の誰にも見えない中、
どのように証言してもらうかといったような、映画の本筋とは違う観点で、
面白さを模索するような映画でした。
前作の『ザ・マジックアワー』では、俳優とヤクザとのやりとりの食い違いで魅了し、
今作の『ステキな金縛り』では、主人公と観衆との温度差がかなり個人的には面白かったです。
キャスティングも三谷幸喜の作品ならよく見る顔ぶれば狩りでかなり豪華。
「この人誰だ?」という疑問よりも、「この人がこんな役をやってるんだ!」というように、
私たちのイメージとは違った配役をしているのも見所の一つ。
そして、西田敏行の演じる更科六兵衛もかなり味が出ています。
法定での、主人公と観衆との温度差も面白みの一つですが、
更科六兵衛が都会にやってきた時、時代のギャップに戸惑う姿もクスリと笑えるところです。

商業的側面と芸術表現を両立した完成度の高い作品『真夏の方程式』

『真夏の方程式』を鑑賞したのは、劇場公開が終了してだいぶ経ってからである。レンタル屋でレンタルが開始されて、何度も手には取ってみたが、あまり気が進まずずっと未鑑賞のままであった。その理由は、あまり役者として福山雅治が好きではなかったのと、テレビドラマの劇場版があまり好きではなかったからである。しかし、友人が何度も『真夏の方程式』を推薦してくるので、だまされたと思って観てみたのだが、鑑賞後あまりの完成度に拍手を送ったほどである。劇場公開されている時に、観に行かなかった自分をなじってやりたい気持ちになった。まずこの映画は決してテレビドラマの延長線にあるものではない。ガリレオシリーズで定番の音楽もエンドクレジットの最後の最後にしか出てこないし、福山雅治の「実に面白い」というセリフも徹底的に排している。一つの独立した映画作品としてちゃんと作っているのが非常に良い。また、よくサスペンスドラマにあるような、見事な推理で犯人探しをする定番の構成に重きを置くのではなく、犯罪の周りに渦舞く人間関係や心情に重きを置いていて、ストーリーの中に容易に入る込むことができた。福山雅治の演技も全く嫌らしさがなかった。私の福山雅治アレルギーも少し治ったかもしれない。そんな中で『真夏の方程式』が素晴らしい作品だと思う最も大きな理由は、商業的な側面と映画的芸術表現をうまく両立している点である。ガラスの反射を利用して、登場人物の心情を描き出したりと、とても魅了された。特に海の映像がとても美しい。きれいな海の映像を観るためだけでもこの映画を観る価値はあるのではないかと思う。日本で作られた映画の中でも、もっと評価されてもいい作品であると私は思う。

巨匠・木下恵介に最高のリスペクトを送った良作『はじまりのみち』

『はじまりのみち』を監督したのは実写映画初監督の原恵一だ。『クレヨンしんちゃん』や『ドラえもん』の劇場版シリーズを数多く監督した日本でも有名なアニメーション監督だが、実写映画を監督するのは初めてだ。これまでほとんど実写映画の経験がない監督なので、私はあまり期待せずに映画館に足を運んだが、予想以上の素晴らしさに鑑賞中を大粒の涙を流した。月並みな言葉ではあるが、この映画からはたくさんの「愛」が溢れている。日本映画の巨匠・木下恵介監督への愛、母親への愛、家族への愛、映画への愛。しかし、それらの愛は激しく燃えるような愛ではなく、ひっそりと、気づいたらただそこにあるような愛なのである。それはまさに木下恵介監督が自らの映画人生の中で貫いたテーマでもあるように思える。加瀬亮演じる木下恵介が、母の汚れた顔を手ぬぐいで優しくなでるように拭く時、すべての時間がゆっくりと流れ始める。空も風もなにもかも、母と息子のその崇高な一瞬にすべての重心を傾けて見守っている。その一瞬に触れた時、観客ではある私も涙せずにはいられない。この映画は構図、カット割り、ショットの長さなど、独特なリズムで構成されているように感じた。映画の冒頭はその独特のリズムに少し戸惑いを感じながら観ていたが、だんだんとそのリズムが非常に心地よく感じるようになっていった。あの体験はとても不思議である。あのぎこちなさと言うのか、不器用さと言うのか、ある種の初々しさと言ってもいいのかもしれない。その雰囲気は実写初監督だからこそ醸し出すことができたのかもしれない。その初々しさはこの作品のストーリーにもうまくマッチしていて、心地よい時間を映画館で過ごすことができた。何と言っても木下恵介の役を加瀬亮を演じたのが、この映画最大のファインプレーと言ってもいいかもしれない。加瀬亮のあの素朴な雰囲気を最大限に活かすことができる役である。加瀬亮が演じるあおの不器用な木下恵介像はとても愛おしくなる。木下恵介が実際にどんな人だったのかわからないが、きっと、絶対に、あのような好青年だったのだろうと思わせてくれる。映画のクライマックスに、木下恵介が監督した全ての映画のワンシーンが素晴らしい音楽と共に流れるのだが、もはや反則技である。あれは泣いてしまうに決まっている。映画が終わった後に、私は木下恵介監督の映画を何本も借りて鑑賞した。木下恵介監督はこんなにも素晴らしい作品をたくさん世に送り出していたのだと改めて感じた。こんな簡単な言葉で片付けてしまうのはどうかと思うが、「日本人で良かった」と強く再実感した。木下恵介作品を再び現代の日本人の心の中に復活させただけでも、『はじまりのみち』は偉大な作品であると言っても過言ではないだろう。

過去の自分と決別した最初で最後の宮崎駿の新境地『風立ちぬ』

『風立ちぬ』は2013年最大の話題作であったのは間違いないだろう。『崖の上からボニョ』以来久しぶりの宮崎駿作品を誰もが楽しみにしていただろう。私の周りのほとんどの友人も、劇場に足を運んでいたように思える。宮崎駿は間違いなく私の人格の一端を形成しているだろう。おそらく私と同じ年代の多くの人もそうだろうと思う。幼い頃から何度も観てきた映画が『となりのトトロ』であり、『天空の城ラピュタ』であり、『千と千尋の神隠し』である。もちろんその他の宮崎駿作品も然りだ。私達は宮崎駿作品に何度も興奮し、何度も涙してきた。私にとって宮崎駿の存在は偉大である。その宮崎駿がこの『風立ちぬ』を最後に現役を引退することを表明した。私はなんともやるせない気持ちになり、もう一度映画館へ足を運び、二度目の『風立ちぬ』を鑑賞した。当然涙を流したのは言うまでもない。『風立ちぬ』は宮崎駿の最後の映画作品になったのだが、この映画は宮崎アニメのあらゆるセオリーを破っている新境地であると言えると思う。この映画は本当に宮崎駿が作ったのか、と疑問に思うと同時に、もしかしたらこれが宮崎駿がずっと作りたかった本当の映画なのかもしれないとも思った。まず、私は冒頭のシーンで度肝を抜かれることになる。『風立ちぬ』の最初のシーンは、主人公である堀越二郎が爽やかな風に揺られながら、少し歪な形をした飛行機に乗って悠々と空を飛行するシーンである。そのシーンは予告編でも使われていたシーンだが、これがなんとも心地よい。これまでの宮崎作品でもそうであるように、登場人物が風に揺られ空を飛ぶシーンはとても素晴らしい。「空を飛ぶ」ことがまさに「ジブリ」の主題と言っても過言ではない。『風立ちぬ』も「空を飛ぶ」ことから始まるのだが、その心地よい「夢」は一瞬にして破壊されてしまう。飛行機がバラバラになり、堀越二郎は地面に急落下してく。私は驚いた。映画の冒頭で、「今までのジブリ作品はすべて儚い夢ですよ。」と言っているように感じた。この映画は今までとは違う。今までのジブリの作品には無かった、男女の性描写があったりと、明らかに過去の自分の作品と決別し、新しいジブリ映画を私達の前に提示しているように感じた。しかし、残念ながらその新しい宮崎駿は『風立ちぬ』が最後である。もっと観たい。引退を撤回してまた映画を作ってくれたら嬉しい。

日本映画もやれるんだ!と希望を与えてくれた『愛のむきだし』

『愛のむきだし』を監督した園子温の作品はほとんど観ているが、私はこの映画が一番好きだ。237分というとても長い上映時間だが、まったく飽きること無く、楽しむことができる数少ない作品だ。とにかく勢いでぶっ飛ばしてしまう、そんな映画。AAAの西島隆弘演じる主人公・ユウは、クリスチャンの家庭に生まれながら、女の子のスカートの中を狙う盗撮の天才というぶっ飛んだキャラクター。その盗撮の仕方も可笑しくて、見事なアクロバットで一瞬のうちに女の子のパンツを盗撮してしまう。しかし、その盗撮の写真が後でとんでもない事態を招くことになるのだが・・・。この映画の魅力はやはり満島ひかりの迫真の演技である。満島ひかりは、ユウの初恋の人で妹でもあるヨーコを演じている。女優としての満島ひかりの一般的な認知度を高めたのは、おそらく『悪人』ではないかと思うが、コアなファンの中では『愛のむきだし』である気がする。ユウが、カルト宗教によって洗脳されたヨーコを救い出そうと、海辺に連れ出して拘束するシーンが特に見事である。迫真の表情と満島ひかり独特の迫力で、とてつもなく長いセリフをワンカットで言い切る演技は素晴らしすぎて涙が出てしまう。間違いなく満島ひかりの女優としての底力を垣間みた瞬間であった。もう一つこの映画の見所と言えば、やはりクライマックスだ。ユウが日本刀を持ってカルト宗教組織のアジトに乗り込み、ヨーコを救い出す。ハリウッド映画ばりのものすごい疾走感で展開するそのシーンは、観ているこっちもハラハラする。そして最後の最後にユウとヨーコが手を取り合う瞬間にその興奮はマックスに達する。この映画のスケールは莫大のお金をかけるハリウッド映画にも引けをとらない完成度である。

前田敦子の演技がしびれる異色ホラー『クロユリ団地』

私はもともとJホラーを進んで観る方ではない。『クロユリ団地』も何気なくレンタル屋で邦画コーナーを見ていたら、新作でレンタルが開始されていたので、たまには観てみようという気分になり手に取ってみたら、想像を越える面白さだった。ゼロ年代にブームになった『着信アリ』や『呪怨』のような往年のJホラーとは異質な一作であった。前田敦子演じる二宮に呪いをかける犯人(犯霊?)を観客にミスリードさせる構成が面白い。幽霊の登場に合わせて大きな音を出して観客を驚かせる、Jホラーによく見る法則を極力排しているのも個人的にはかなり評価できる。突然幽霊が出て、大きな音で驚かせる手法は映画表現としては少し短絡的に思えてしまうからである。元AKBの前田敦子は、その前歴のせいか女優として過小評価されているところがあるが、アイドルとしての前田敦子像とは正反対な、心に深い闇を持つ女性を見事に演じきっていた。前田敦子自身もアイドル時代よりも美人になった気もする。ホラー映画の醍醐味は美人が恐怖におののいて泣き叫んでる顔を見ること。前田敦子は意外にホラーが向いているかもしれない。『クロユリ団地』の監督・中田秀夫は過去に『リング』シリーズなどホラー映画で一世を風靡した監督。ここ最近はホラー映画を撮ってはいなかったが、この『クロユリ団地』を機に是非また新しいホラー映画を作ってほしいと思う。次回作にも期待したいと思う。前田敦子の女優としても活躍もこれから大変楽しみである。まだまだ22歳の若い女優だ。これからたくさんの作品に出て、いろいろな役に挑戦して大女優になってほしいと思う。『クロユリ団地』をきっかけに他のホラー作品ももっと見てみようかと思った。

観ただけで他の人より少し得した気分になれる映画『横道世之介』

私にとって『横道世之介』は2013年に映画館で鑑賞した映画の中で最も大切な映画である。もちろんブルーレイを購入し、いつでも鑑賞できるようにしている。私がひどく落ち込んだ時や、どうしようもない不安に駆られる時には、必ずこの映画を手に取って鑑賞したいと思っている。『横道世之介』は私達の側に寄り添うような作品なのである。言い方を変えれば、『横道世之介』という作品が、ではなく、横道世之介という一人の青年がいつも私の側に寄り添っているのかもしれない。綾野剛が演じる同性愛者の男性が、大学生時代のことを思い出して恋人に話している時に、「横道を知っているだけで、知らないお前よりだいぶ得した気分だよ」と言ったセリフがこの映画の全てを言い表していると言ってもいい。私は監督の沖田修一の作品が大好きだったので、公開されてすぐに劇場に観に行ったが、まだ観ていない友人よりだいぶ得した気分であった。みんなに観に行ってほしいという気持ちの反面、誰にも教えたくないという矛盾した気持ちになった。それほど『横道世之介』は私にとってかけがえのない作品となったのである。横道はどこか気の抜けた大学生。いい奴というよりお人好しな奴。うざくてうっとしい奴だけど憎めない愛らしい奴。決して横道のような人にはなりたいとは思わないが、横道のような友達がほしいと思う。記憶を辿ってみると、みんなにもきっと横道のような存在がいただろうと思う。ずっと忘れていたけど、「ああ、そういえばあんなやついたなあ」と思い出して、一人でクスクス笑ってしまうような存在がきっといるはずである。私の記憶にもきっと横道みたいな友達がいたはずだ。この映画は忘れている過去の愛する友人を思い出すきっかけを私達に提供してくれている気がする。